【システィックヒグローマ】入院、中期中絶

システィックヒグローマ

皆さまこんにちは。引き続き、システィックヒグローマの記録です。私達夫婦は結果として妊娠継続を諦めることにし、死産になるか中絶になるかの出産をします。当ブログはアフィリエイト広告を使用しております。

[前回からの続きです]

お昼前に産婦人科へ入院しました。個室に通され着替えたり、採尿や心電図などをしました。看護師さんや助産師さんも暗い感じでした。辛いね、泣いても大丈夫だよ。の一言で涙腺崩壊です。午前の診察が終了し、外来の患者さんが帰られた状態で最後の診察が始まりました。当然、奇跡は起こらず胎児水腫の状態です。かなりひどい状態のようでしたが、心拍を聞き取ることが出来ました。血流も診てもらいましたが、やはり心臓にかなり負担がかかっているらしくいつ心臓が止まってもおかしくないようでした。

診察後より、早速中絶の準備が始まります。子宮頸管拡張材の挿入です。入れられる時は”ずーーん”として鈍い生理痛のちょっと強いやつ(我慢できるくらい)がやってきました。初産なので(確か)3本入れられました。今日と明日にかけて、数回に分けて十数本まで入れられるようです。数時間経ってまた入れられます。入れる際には楔を打ち込まれるようで『キンッキンッ』と高い金属音が聞こえました。今でも耳に残っているトラウマ音です。翌日の昼までに、最終18本入られたようです。十分広がったようで、拡張材が取り除かれます。入れられるときより抜かれるときの方が痛みが強くてうめいていました。それからは子宮収縮剤にて人工的に陣痛を起こさせます。生理痛のような痛みからはじまり、じんじん熱い痛みが広がってきたように思います。午後3時頃にそろそろだから、トイレを済ましておきましょうとトイレで大小済ませました。

腰もお腹も痛かったです。排便したいような感覚が来たので、とうとう分娩台にのぼります。今から出産となるのにまだつわりは続いています。つわりの合間に吐いたりもしました。赤ちゃんのことを考える余裕はありません。痛みと気持ち悪さとでいっぱいでした。陣痛の痛みに苦しんでいると”パシャッ”と股から生ぬるいお湯が出ました。破水です。そこから次の陣痛に合わせていきみます。2回ほど繰り返したときに”ぬるん”と股から出てきました。誕生です。産声はありません。「おめでとうございます」はありませんでした。お疲れ様でした。赤ちゃんの処置をしますね。と早々に連れて行かれ、私も体を拭かれたりされました。1時間ほどたってから個室へ連れ戻されました。妊娠状態が終わったからか、つわりの気持ち悪さは微塵もありませんでした。

個室に戻ってからは産後扱いのため、母乳が出るようになるとのことで、薬を飲みました。それから、悪露やシャワー時の注意点を受け、夕食となりました。豪華な食事でしたが、つわりはないのに食べる気も起きず、少量詰め込んで終わりました。味も覚えていません。

シャワーも終わり、先生からのお話がありました。赤ちゃんは出産後間もなく亡くなったこと、赤ちゃんにはいつでも会えるが、水腫がかなりひどいので想像している小さな赤ちゃんの状態ではないことを伝えられた。

夜間はお腹も痛いし(後陣痛だったのかな?)トイレに行くために起き上がるもなんだかフラフラして気持ち悪かった。悪露はそこまで出なかった。ずっと泣いていたから頭も痛いし、もう何がなんだか。全てどうでもいいような気持ちになっていた。助産師さんから睡眠薬あるけどどうするか聞かれたが飲まなかった。知らない間に眠っていた。

翌朝、腹痛はなかったものの、とにかくふらついて起き上がるのがしんどかった。助産師さんに知らせようか迷ったが、伝えることをせず朝食のサンドイッチを完食した(この選択はあとから激しく後悔することになる)。そして午前診の前に内診されることになった。

フラフラしつつ(助産師さんに両側から支えてもらった)、診察をされる。思ったほど悪露が出ていなかったせいか?内容物が多く残っているとのこと。掻き出して子宮を元の状態に戻して、早く回復させようということになり、子宮内容物掻爬術をされることとなった。つまりは初期中絶のときの手術である。朝食を取っていたが、午前診と午後診の合間の昼休みにしましょう。と話が進み、同意書にサインをした。

掻爬術は全身麻酔で眠っている間に終わるということだった。麻酔のマスクを当てられゆっくり数をかぞえる。13まで数えたところで意識を失った。手術自体はすぐに終わったようだがあまり覚えていない。手術台からリカバリールームに行くときは支えられながら歩いていたらしいし、痛い!痛い!と言っていたようだが全然覚えがない。ベッドに寝かせられナースコールを持たされる。だんだん意識がはっきりしてきたと思ったら猛烈な吐き気に襲われた。ナースコールを押して吐きそうなことを伝えるとすぐに用意されて吐いた。朝食のサンドイッチだった。横向きに吐いたため前髪に大量にかかり、臭くなったし髪がパリパリに張り付いて気持ち悪かった。無理して食べたことを激しく後悔した。

リカバリー室から個室に向かう時、たちくらみが激しく、ザーーーー!と耳鳴りがしたかと思うと倒れた。すぐに付き添いの助産師さんが対応してくださり、車椅子で個室に戻った。各種検査がなされた結果、貧血だった。今日の夕方の退院は諦め、翌日へと繰り越すことになった。

それから安静にし、シャワーも出来ず、清拭で対応してもらってある程度はさっぱり出来た。赤ちゃんの手続きは(死亡届や火葬手配など)全て旦那が済ませてくれていた。もう退院できるはずだったので、火葬場も抑えてあり、それが明日の夕方最終の時間だった。

先生とも相談し、今夜は入院継続、明日の昼の検査の結果次第で退院できると言われた。それまでは安静と水分と食事を極力取った。そして貧血の状態もギリギリで退院許可が出た。助産師さんから、赤ちゃんに会うならこのチャンスを逃すとありませんがどうしますか?と言われた。会います!と即答した。出産から時間が経っているのでさらにひどい状態であることは念押しされたがやはりこの目で見たかった。

見せてもらって、姿はそれはもうひどい状態だったが、死んでしまったんだ!という気持ちが強かった。色も時間が経っているからか青紫のようなドス黒かったし、水腫だったからか浸出液で赤ちゃんの周りはひどく汚れていた。それでも手のひらサイズの小さな男の子だった。どんな状態でも我が子に変わりはなく、「かわいい」と素直に思えた。そこからはまた泣いた。多分、これから先一生忘れられないと思う。

夕方まで赤ちゃんは預かってもらい、私は先に退院し帰宅。シャワーしたり喪服を出したり準備を整え、赤ちゃんを迎えに行った。そこから火葬場へ向かい最後のお別れとなった。当然お骨は何も残らなかった。こうして私の妊娠が終わった。

待望の赤ちゃんはシスティックヒグローマだった。そして胎児水腫という状態だった。先生からは予後不良と言われ、絶望的だった。どうしてなるのかもわからないし、確率的にもかなり低いものだが、待ち望んだ赤ちゃんはシスティックヒグローマだった。最終的に妊娠継続を諦め、中期中絶による出産を選んだ。この選択は夫婦で決めたもので、他の誰が何を言おうと後悔はない。後悔はないが、悲しみはある。今でもひと目見た姿は覚えているし、我が家には仏壇もある。位牌はないが、小さな仏様を納めているので手を合わす。それだけで気持ちは楽になれたし、忘れられないなと改めて思う。

暗いお話でしたが、以上が私達のお話です。もし、システィックヒグローマで、希望を持って検索してたどり着かれた方がいらっしゃいましたら申し訳ありません。参考になる話はなかったかもしれませんが、こんな選択をした夫婦もいるんだなという記録でした。

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